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エルンスト・カジミール (ナッサウ=ディーツ伯) : ミニ英和和英辞書
エルンスト・カジミール (ナッサウ=ディーツ伯)[はく]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
: [はく]
 【名詞】 1. count 2. earl 3. eldest brother 4. uncle 5. chief official 

エルンスト・カジミール (ナッサウ=ディーツ伯) ( リダイレクト:エルンスト・カシミール (ナッサウ=ディーツ伯) ) : ウィキペディア日本語版
エルンスト・カシミール (ナッサウ=ディーツ伯)[はく]

エルンスト・カシミールまたはエルンスト・カジミール:Ernst Casimir van Nassau-Dietz:Ernst Casimir von Nassau-Diez, 1573年12月22日ディレンブルク - 1632年6月2日ルールモント)は、ナッサウ=ディーツ伯(在位:1607年 - 1632年)、フリースラント州フローニンゲン州ドレンテ州の総督。
ナッサウ=ディレンブルク伯ヤン6世(ヨハン6世)とその最初の妻でロイヒテンベルク方伯ゲオルク3世の娘であるエリーザベト(Elisabeth van Leuchtenberg)の間の5男として生まれた。1607年3月30日、父の領地を兄弟と分割相続し、ナッサウ=ディーツ伯を名乗った。1620年、長兄のディレンブルク伯ウィレム・ローデウェイクが亡くなると、フリースラント州総督職を引き継いだ。その5年後の1625年にはフローニンゲンとドレンテの州総督をも兼ね、1632年に亡くなるまで務めた。
エルンスト・カシミールは八十年戦争の司令官の1人として、1627年フロンロ包囲戦1629年スヘルトーヘンボス包囲戦に参加した。また、州総督として1628年にニューエスハンス(現在のバート・ニューエスハンス)の要塞を建設した。1632年、ルールモントでの戦闘中、塹壕を視察していた際に流れ弾に当たって亡くなった。
== 子女 ==
1607年、ブラウンシュヴァイク=ヴォルフェンビュッテルハインリヒ・ユリウスの娘ゾフィー・ヘートヴィヒと結婚した。間に生まれた子供のうち、成人したのは息子2人だけだった。
*ヘンドリック・カシミール1世(1612年 - 1640年)
*ウィレム・フレデリック(1613年 - 1664年)
*エリーザベト(1614年)
*ヤン・エルンスト(1617年)
*マウリッツ(1619年 - 1628年)
*エリーザベト・フリーゾ(1620年 - 1628年)



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抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「エルンスト・カシミール (ナッサウ=ディーツ伯)」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Ernest Casimir I, Count of Nassau-Dietz 」があります。




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